『法苑珠林』(以下、『珠林』と略記)100巻は、三蔵の故実を100篇668部に分類して解説した一大仏教類書である。南北朝から隋唐に至る中国仏教文化の集大成ともいえる内容で、もはや散佚して原典をみることの叶わない多くの経論逸文を大量に保存する、極めて貴重な典籍である *1。各篇は、編目の大意を述べた述意部、諸経論より該当部分を引用して解説した引証部、そして例証となる霊験譚を集めた感応縁からなるが、この感応縁こそ同書の最大の特徴といえる。その典拠は、仏教のみならず、儒教や道教に関係する文献、史書・緯書・小説の類にまで及び、『太平広記』に先行する六朝古小説の宝庫としても大きな価値を持つ *2。
【成立の背景】 南北朝から隋唐にかけての4〜7世紀という時代は、中国仏教、ひいてはそれを原型とする東アジア仏教の基本的形式が整備された時期であるといっても過言ではない。しかし、それに至るプロセスは、三武一宗の法難に代表される幾多の廃仏、儒教や道教との軋轢を繰り返す、極めて険峻な道のりとならざるをえなかった *3。天竺や西域の動向を敏感に反映した北朝の仏教と、神仙思想や道教、在来の習俗との交渉を重ね中国化の進んだ六朝の仏教は、隋・文帝の中華統一と仏教交流政策によって融合・繁栄をみる。北魏・南梁により仏教の護国機能が著しく開発されたものの、やはり仏教と国家・王権との間には、東晋慧遠以来の礼敬問題、課役対捍の問題が宿命的につきまとっていた。折しも、得度者の増加による僧尼の質の低下が問われており、隋唐の国家としては、いかに僧尼を統制・管理し、護国の任務に従事させてゆくが重要な課題となった。一方、インドや西域から訪れる僧侶によって、中国の保有する仏典は次第に増加していたが、異なる時代に多様な地域で作成された書物が不規則に将来されたため、部派仏教と大乗仏教の経説を統一的に理解しようとする動きが生じるなど、当初からさまざまな混乱が起きた。また、国内で撰述された経序・論・疏・抄・史伝、そして疑経の類も相当な数に達しており、僧尼の学問の水準を維持するためにも、その厖大かつ広汎な内容を検証・整理する目録作成、要文集・類書作成の必要が高まっていた *4。前者は、早くに散逸した道安撰『綜理衆経目録』1巻(364年)に始まり、訳経事業史ともいうべき現存最古の僧祐撰『出三蔵記集』15巻(516年)、法経撰『衆経目録』7巻(594年)などを経て、智昇撰『開元釈教録』15巻(730年)において大成される。後者については、斉の『法苑経』189巻を嚆矢に(『法苑珠林』の書名はこの書に由来すると考えられる)、南梁の武帝のもとで編纂が進められた宝唱撰『経律異相』50巻、虞孝敬撰『内典博要』30巻などが知られている。李儼による「法苑珠林序」は、『珠林』がこの『内典博要』を模範にしたと述べるが、同書は散逸してしまっており比較の方法がない。経典に由来する説話については、後述する道宣『集神州三宝感通録』のほか、近年は北魏・道紀の『金蔵論』、もしくは2書がともに依拠した類書や要文集の存在が推測されている *5。いずれにしろその編纂は、南北朝の仏教を集大成する流れのなかで開始されたと考えられる。
【成立年代をめぐる諸説】 しかし、その成立年については若干の問題がある。前掲李儼序に記された編纂終了の年次が、『珠林』現行本冒頭に付されたものと、道宣撰『広弘明集』巻20に採録されたものとで食い違っているのである。前者は、「故於大唐総章元年、歳在執徐、律惟姑洗、三月三十日纂集斯畢」と総章元年(668)を挙げているが、後者は、「大唐麟徳三年、歳在摂提、律惟沽洗、三月十日纂集斯畢」と麟徳3年(666)を掲示しているのである。川口義照氏はこれについて、『広弘明集』の成立が麟徳元年であること、「麟徳三年三月」は改元によって乾封元年となっていることなどから、『広弘明集』の「三年」は「元年」の誤写であり、麟徳元年に初稿本が成立した後も増補が続けられ、総章元年に至って完成したものと推測した *6。小南一郎氏は川口氏の見解に概ね賛同し、麟徳元年成立の『大唐内典録』から同年には百巻規模の内容が具備されていたと認めつつも、『広弘明集』掲載序の年紀を単なる誤写とはみず、増補が続けられるなか麟徳3年にも序が付加されたものとしている *7。また富田雅史氏は、『法苑珠林』の感応縁が多く麟徳3年成立の『集神州三宝感通録』に依拠していることから、『珠林』の成立も麟徳3年を遡りえず、同年に初稿本、総章元年に最終稿の編纂が終了したものと推測している *8。ほかにも、龍朔末年(663頃)を初稿本の成立に当てる山内洋一郎氏の見解 *9 などがあるが、いずれにしろ660年代前半に概ねの体裁が整えられ、総章元年に完成に至るとの見方が学界の合意するところであろう。
【撰者 道世と道宣、感応縁の意義】 撰者の道世については、『宋高僧伝』所載「唐京師西明寺道世伝」に詳しい。それによると、俗姓は韓氏、字は玄惲、12歳のとき青龍寺にて出家し、律宗について研鑽を積み諸々の典籍に精通したといい、『珠林』のほかにも、『四分律討要』『四分律比丘尼鈔』『諸経要集』『金剛般若経集註』といった著作がある。顕慶年中(656〜661)より玄奘の訳経事業に参加、西明寺に入り、同時期にやはり西明寺の上座となり律学を宣揚していた道宣とも、学問的に深い親交を結んだようである。道宣は、『四分律刪繁補闕行事鈔』『四分律刪補随機掲磨疏』『四分律比丘含注戒本疏』『四分律比丘尼鈔』『四分律拾毘尼義鈔』といった戒律関係の著作を多くものしているほか、仏教史研究にも秀で、慧皎撰『梁高僧伝』を受け継ぐ『唐高僧伝』、僧祐撰『弘明集』を補完する護法の所論を集めた『広弘明集』、祇園精舎の縁起や構造を述べた『中天竺舎衛国祇洹寺図経』などをまとめている *10。律学の大家でありながら神仏との感応を重視し、『珠林』編纂の時期と重なる晩年にはとくにその傾向が強く、仏塔・仏像・高僧の霊験譚を類聚した『集神州三宝感通録』、自身の感応体験を綴った『道宣律師感通録』を遺した *11 。また、彼は同一の関心から志怪小説の類も愛読しており、『道宣律師感通録』序には、「希世抜俗之典籍」として「捜神研神、冥祥冥報、旌異述異、志怪録幽」*12 が網羅されている 。この点は『珠林』の編纂においても重要な意味を持ち、「感応縁」の典拠として掲げられた「宣験、冥祥、報応、感通、冤魂、幽明、捜神、旌異、法苑、孔明、経律異相、三宝微応、聖迹帰心、西国行伝、名僧、高僧、冥報」*13 に対応している。『珠林』には道宣の著作が15種も引用されており、なかには現行本と名称の異なるもの(川口義照氏は、道宣・道世共通の引用原典があったのではないかと推測しているが、道宣の草稿段階の著作を指す可能性もあろう)、散逸したとみられるものもある。とくに、『三宝感通録』のほぼすべての記事が感応縁に引用されていることは、富田雅史氏の指摘のとおり、感応縁自体の成立が道宣の提案によるものだったのではないかとの推測を抱かせる *14 。道宣自身が、『三宝感通録』の跋文の末尾に、「其余不尽者、統在西明寺道律師新撰法苑珠林百巻内具顕之矣」と記していることは、両者・両書の関係を物語ってあまりある。
【日本研究における意義】 前述のとおり、『珠林』が多くの古逸経論を抱え込み、さらにその感応縁に散佚した六朝古小説を保存していることは、中国仏教学・仏教史研究、中国文学研究において極めて重要な意味を持つ。とくに、『幽明録』『宣験記』『冥祥記』といった仏教系の志怪小説からは、仏教が中国に定着してゆく過程で生じた種々の変化、在来の習俗や儒教、道教との交渉などが、非常に生々しい形で看取できる *15。さらに、これらの幾つかは日本へも伝来し、『日本霊異記』や『今昔物語集』といった説話集を経て、民話や昔話としても展開してゆくことが明らかにされている(西明寺の仏教が直接的に影響を与えたとする見解もある *16)。『日本書紀』に掲載された崇仏論争記事は、『珠林』十悪篇邪見部の諸文献を参照して述作されたことが推測されているし *17、「諸教要集」を座右の書としていたという景戒の『日本霊異記』は、仏教以外の霊異譚をも内包するその構成を、『珠林』に依拠したとも指摘されている *18。六朝の江南地域は、神仏習合の諸形式をはじめ、東アジアの宗教的シンクレティズムの原型が形成される場でもあり、アジア的な規模で展開されるべき比較宗教史的な研究に、『珠林』の占める位置は大きいといわねばらない *19。
【テクストの問題その他】 ただし、研究の前提となるテクストについては、未だ幾つかの課題が存在する。『珠林』の校訂本としては、長く高麗大蔵経再雕本を底本とする『大正新修大蔵経』本(第53巻/事彙部所収、宋湖州版思渓資福蔵本、元普寧蔵本、明径山蔵本、宮内庁書陵部本などで対校)が用いられてきたが、データベースの無料公開によって格段に利用しやすくなったものの、『大正蔵』という経蔵そのものに多くの問題がつきまとっているのである *20。そうしたなか、2003年に至って、周叔迦・蘇晋仁両氏による、清・道光7年(1827)常熟燕園蒋氏刻本を底本とした『法苑珠林校注』(中華書局)が刊行された。この常熟燕園本は、底本など詳細は判明していないものの(稲垣淳央氏は、北蔵系統の諸版本のうち、嘉興蔵・乾隆蔵を除くものを想定している)、100巻構成という旧態を採る点に注目が集まっている。前述のとおり、『珠林』はもともと100巻の体裁であったが、明の径山蔵(嘉興蔵本)にて120巻に改変され、現在に至るまでそれが通行本となってきていたのである。しかしそれ以外の点では、印刷の状態も悪く誤刻も多々あり、必ずしも良質の版本とはいえないらしい *21。また、同『校注』を現行校訂本最良のものと評価しながら、その校注作業の誤りを指摘する論文も後を絶たない *22。なお、日本における『珠林』の流通がどの程度のものであったかは、近年活発化する聖教調査でも写本が発見されないため明らかではなく、宋版以降の刊本がどの程度普及していたかも分かっていない。少なくとも同書が一般化するのは、径山蔵本の忠実な復刻である寛文9年(1669)和刻本(深草元政施訓、慈忍日孝施訓・識語)からと考えられるが、同書には全編を通じて詳細な訓点が施されており、校訂においても極めて利用価値が高い *23。現時点では、可能な限り現存する刊本に当たりりつつ、『珠林校注』を基本に、『大正新脩大蔵経』の校異データ、寛文和刻本を用いて対校してゆくのが最良の方法だろう(本サイトの感応縁注釈作業も、基本的にこの方式に則って行ってゆく)。
*1…… 川口義照「仏教類書中に引用された逸存経典の一考察」(同『中国仏教における経録研究』法蔵館、2000年、初出1977年)・「『法苑珠林』にみられる逸存・別存経について」(同書、初出1975年)などを参照。
*2……例えば近年では、『捜神記』のテキスト・クリティークが進み、現行本収載の説話を無批判に原本に遡らせることができなくなっており、『法苑珠林』に所収されていることの意義が高まっている。小南一郎「干宝『捜神記』の編纂」上・下(『東方学報』69・70、1997・1998年)参照。
*4……この間の流れについては、落合俊典「漢訳経典の生成と要文集の編集—『法苑珠林』以前の世界—」(荒木浩編、科学研究費補助金基盤研究(B)17320039研究報告書『小野随心院所蔵の文献・図像調査を基盤とする相関的・総合的研究とその展開』1、2005年)、沖本克己「経録と疑経」(同編『新アジア仏教史』6・中国I南北朝/仏教の東伝と受容、校成出版社、2010年)などを参照。
*5……宮井里佳「中国仏教における『金蔵論』」(宮井・本井牧子編著『金蔵論 本文と研究』(臨川書店、2011年)、755頁注(十六)。なお、道宣は修行における神秘体験を重視しており、感応縁にはその意向が大きく反映されているが、『金蔵論』が観仏実践を説く類書的説話集であることも注意が必要かもしれない。
*11……川口義照「経録研究よりみた『法苑珠林』—道世について—」(同*1書、初出1976年)・「道世と道宣の撰述書」(同*1書、初出1978年)などを参照。なお『集神州三宝感通録』については、美術史料としての注釈研究が、肥田路美を代表とする共同研究によって進められ(2009~2011年度、科学研究費補助金基盤研究(B)21520110「『集神州三宝感通録』の美術史料論的研究」)、『奈良美術研究』12(2012年)に成果が公表されている。
*15……例えば『冥祥記』については、大谷大学真宗総合研究所が共同研究を行い、その成果を「『法苑珠林』の総合的研究—主として『法苑珠林』所録『冥祥記』の本文校訂并びに選注選訳—」(『真宗総合研究所研究紀要』25、2007年)として公表している。
*17……拙稿「祟・病・仏神―『日本書紀』崇仏論争と『法苑珠林』―」(あたらしい古代史の会編『王権と信仰の古代史』吉川弘文館、2005年)参照。なお、『日本書紀』における漢籍援用については、瀬間正之「記紀に利用された典籍—出典論の研究史と展望—」(河野貴美子・王勇編『東アジアの漢籍遺産—奈良を中心として—』勉誠出版、2012年)が整理している。
*18……河野貴美子「 『日本霊異記』にみる漢籍の受容と消化」(『和漢比較文学』29、2002年)・「『日本霊異記』の編纂と『捜神記』・『法苑珠林』」(和漢比較文学会・中日比較文学学会編『新世紀の日中文学関係―その回顧と展望―』勉誠出版、2003年)参照。
*20……例えば、船山徹「漢語仏典—その初期の成立状況をめぐって—」(京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センター編、京大人文研漢籍セミナー1『漢籍はおもしろい』研文出版、2008年)、73〜83頁を参照。
*22……例えば、董志翹「《法苑珠林校注》匡補」(『古籍整理研究学刊』2007-2、同年)、王東「《法苑珠林校注》商補」(『古籍整理研究学刊』2008-3、同年)・「《法苑珠林校注》補正」(『宗教学研究』2010-2、同年)・「《法苑珠林校注》斠補」(『古籍整理研究学刊』2010-4、同年)、羅明月「《法苑珠林校注》考疑」(『江海学刊』2010-6、同年)・「《法苑珠林校注》補疑」(『江海学刊』2011-1、同年)「《法苑珠林校注》零拾」(『江海学刊』2011-2、同年)・「《法苑珠林校注》拾補」(『江海学刊』2011-3、同年)、范崇高「《法苑珠林校注》拾補」(『内江師範学院学報』26-1、2011年)・「《法苑珠林校注》点校商補」(『文教資料』2012年7月上旬号、同年)などがある。
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